乃木坂46第40張單曲《ビリヤニ》的Under曲〈純粋とは何か?〉,Center是五期生五百城茉央。而這首是我在乃木坂46唯一的推松尾美佑的最後一首歌曲,他即將於第40張單曲畢業,也擔任著這首歌曲的護法。很喜歡這首歌曲純粹的曲調,跟五百城清澈的歌聲十分相襯。MV中美佑和美緒的眼神,在這即將畢業的時間點,有著滿滿溫暖和溫柔。
畢業快樂。
純粋とは何か?(所謂純粹為何?)
歌手:乃木坂46 第40張單曲Under成員
歌詞:秋元康
作曲:杉山勝彦・河田一真
中文翻譯:Seishin
※轉載前請先連絡,並務必附上出處
掌の上 空から注ぐ
手掌之上 從天空傾注而下
太陽の光を集めてたんだ
匯集了太陽的光芒
君のその手を握ったようで
像是握住了你的手
僕はとっても温かくなれたよ
讓我整個人溫暖了起來
すぐそばに (いるけれど)
你雖然(近在咫尺)
でも君は (遠い人)
卻是個(遙不可及的人)
そんなこと (わかってた)
這些事(我都明白)
何でも話せる分だけ話せなくなる
正因為什麼都能互相傾訴更無法開口
躊躇いってあるんだね
躊躇不定
そういう自分が情けない
這樣的自己真是難堪
だめだ (だめだ) だめだ (だめだ) だめだ (だめだ)
不行啊 (不行啊) 不行啊 (不行啊) 不行啊 (不行啊)
純粋ってのは何なのか? 不意に思う
純粹究竟為何?不經意地思索著
心の奥まで見せてしまうことか?
是把內心深處都袒露出來嗎?
正直になるのは
若要坦誠相待
時にエゴのようなもの
有時反而是自我中心
全て見せちゃえば
並非完全坦承
いいってもんじゃない
就是好事
計算だとか思惑なんてない
不需要算計或企圖
そのままの見え方でいいんだろう
展現真實的面貌就好
だけど僕は
但是我
君のことを考え過ぎてしまう
思考太多關於你的事情
邪念に怯えてるよ
對雜念感到恐懼
好きになるって 胸を流れる
所謂喜歡就像是流淌過胸口
清らかな川の流れのようだ
那清澈河川的流水一般
混ざりっけなんて全くなくて
毫無雜質
深い底まで綺麗に見えてるよ
清澈的能夠看見底部
さりげない (会話でも)
不經意的(對話中)
親しさと (優しさを)
你的親切與(溫柔)
誰よりも (感じるよ)
我比誰都(清楚喔)
ハッとするのはなぜ?
為什麼要驚訝呢?
見つめ合うとそれで終わり
彼此凝視一切就此終結
ああ どれが現実の僕か
啊啊究竟哪個是現實的我
判断できない
無法判斷
もっと (もっと) もっと (もっと) もっと (もっと)
更加地 (更加地) 更加地(更加地) 更加地(更加地)
純粋の意味を知りたくて
想要知道純粹的意義
水面を見た
望著水面
泳いでる魚の影過ったような
像是有魚影閃過一般
それはほんの一瞬の幻
僅於一瞬的幻覺
汚れを知らない自分で
太想要繼續是
ありたいと思うあまり
那不染世間髒污的自己
自意識だけが過剰反応するよ
而自我意識過剩
もっと素直になれれば
若是更加率直
いいんだろう
就好了吧
もう一人の僕は諦め
放棄另一個自己
君に何も伝えられない
任何事物都無法傳達給你
雨で濁ればいいのに
真希望大雨讓它就此混濁
ああ 実物大
啊啊若是能以真實的自我
それ以上 それ以下でもなく
不誇張不自卑不多不少
そうそのままでいられたらな
能以這樣的自己存在著那有多好
何万回の自問自答だ
幾萬次的自問自答
つまり好きと言えば純粋か?
所以若是喜歡就是純粹嗎?
好きと言えないそのことが
無法說出喜歡
純粋なのか?
也是純粹嗎?
結論はずっと出ないまま
始終得不出結論
純粋ってのは何なのか? 不意に思う
純粹究竟為何?不經意地思索著
心の奥まで見せてしまうことか?
是把內心深處都袒露出來嗎?
正直になるのは
若要坦誠相待
時にエゴのようなもの
有時反而是自我中心
全て見せちゃえば
並非完全坦承
いいってもんじゃない
就是好事
計算だとか思惑なんてない
不需要算計或企圖
そのままの見え方でいいんだろう
展現真實的面貌就好
だけど僕は
但是我
君のことを考え過ぎてしまう
思考太多關於你的事情
邪念に怯えてるよ
對雜念感到恐懼
カッコ悪い生き方してても
就算活的掙扎又難堪
どんな時でも純粋でいたいんだ
還是想時刻保持純粹
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